消費税20%、社会保障の見直しを!
相変わらず消費税減税を叫ぶ声が止まない。野党支持者の自民批判だが、本質を捉えきれていない。
声高に叫ぶべきは「負担を減らせ(税を下げろ)」ではなく「収入を増やせ、生活保障をせよ、分配せよ」である。
金をよこせ、と叫ぶことに人々はまだ抵抗を持っているようだ。しかし、格差の拡大を招く社会システムの中にある以上、分配を求めることは当然の権利である。
ある意味では、一般国民の恥じらいが、高所得者、高額消費者に利する消費減税の叫びを呼んでいるのである。
しかし、減税論者により多く見受けられるのは、消費拡大を指向するエゴイストたちである。より多く買い物をしたいから減税を叫ぶ。消費の亡者である。贅沢をしたいから減税せよ、などと、なんと恥を知らぬ物言いであろう。贅沢するなら税を払え。これがわれわれプレーブスの立場である。
イギリスもフランスも、消費税は20%であったはずだ。法人税や所得税の増税が必要なのはもちろんだが、日本の消費税も当然、それら先進各国の水準になければならぬ。その成立の起源はどうあれ、たくさん使うものから税を多く取る消費税という仕組みを活用し、税収を増やして低所得=低額消費者への分配・補償へと金を回していく。
このような政策を実現するには、国民の意識改革が必要だろう。この消費社会では、自覚なき国民の認識において、消費することが善と無意識に見なされている。格差問題だけでなく、環境問題含めて、消費社会はもはや善ならざる価値観である。
贅沢に消費するものからは税を取り、消費少なく所得も少ないものには経済的補助を行う。これが未来のあるべき税制であると、われわれプレーブスは主張しているのだ。
非集権型平等の達成と民主主義の擁護
アメリカのバイデン大統領は、アメリカを代表とする民主主義国家群と、中国を代表とする専制的国家群の対決構図を打ち出した。その構図自体に誤りはない。しかし、真に解決すべきは専制的集権的国家群でも民主的自由主義的国家群でも、ともに平等が廃棄されている点だ。
共産主義は自由よりも平等を優先すると言うが、今の中華人民共和国に格差がないとだれが言えよう。アメリカもまた同様である。国の指導者が互いに指摘されたくないのは、人権だの自由だの以上に、この格差を放置している点である。そこから、共通の問題点である経済的格差から目を背けさせるのが、民主主義対専制主義という先の構図である。
われわれプレーブスの目指すのは、民主主義を徹底化することによる格差是正、平等の構築である。専制主義による分配は、集権的なものである故に、権力や財力の不平等を生む。世界の民主主義が現状採用している(新)自由主義は、競争を是とし勝ち組負け組の格差を生む。
われわれプレーブスが主張するのは、民主主義の求める自由と、経済競争の自由とを切り離すことが、つまり真に目指すべき自由を析出することが、民主主義的平等を達成するために必要であるということである。経済的平等は、我々の求める自由を損なうものではないと区別して認識するべきだ。
監視され、コントロールされ、制限される不自由を廃し、現状自由として認識されている他者への経済的優越を制限すべき、最低限度の必要悪とすべきことを、われわれプレーブスは主張する。国民全体が正しく自由を再定義することで、民主主義的総意として経済的優越(の自由と現状されているもの)を拒絶し、格差を是正して平等を実現することこそ、世界的に目指されるべき第三の道と信ずる。
われわれプレーブスは、以上のごとき主張の元に、民主主義を擁護しつつ、非集権型平等の達成を求め続けるものである。
ファストな補償とスローで持続的な補償を!
18歳以下への10万円の給付金について、公明党や一部野党から、子どもたちを分断する、制限をつけるために対応が遅くなるとの声が出ている。国民民主の玉木代表も、そのような批判をする一人である。だが、この主張は国民全体として受け入れられるものではないだろう。
実際、自民党の言うように所得制限は当然だ。金持ちで子供もいる幸福な家庭に金を配って何とする。そんなことを主張するから、国民の信頼を失うのである。これでは自民党に水を開けられるのも仕方がない。野党の愚かさにも失望ばかりである。
求めるべきは、スピード感のある補償と、スローだが持続的な補償との二つを確立することだ。いま流行りの二刀流である。二万円ほどの低額の緊急補償を素早く行なったのち、きちんとした所得制限とそのための調査を経て、必要な世帯に持続的で大規模な給付を行う。これが国民の理解を獲得する最良の方策であろう。
なぜ!こんな単純なことも野党は主張できないのか。自民党政治は打倒せねばならない。そのためにこそ、真に国民目線の政策提案を示さねばならないのに、この程度の思索さえできぬ野党代表!
我々プレープスは、こんなにも低劣な野党の政策の質を向上させるためにも、国民目線からの意見発信を続けていかねばならない。
固定資産、金融資産税強化と立憲民主党代表選
金持ちどものする政治に分配は可能なのだろうか。不可能!それがわれわれプレープスの自民党を批判する所以である。
公表された閣僚の資産を見れば、彼らが多くの不動産と金融資産を持っていることが明白に知られる。そんな彼らが、固定資産税や金融資産税の増税と、それに伴う低所得層への再分配を推し進めるとは思われない。
実際、公表された経済対策も、最低限の補償にとどまり、国民の不満を最大2万円などというポイント付与でごまかし、抜本的な制度変更の必要性に気づかせまいとするこすいものでしかなかった。経済的に恵まれない子育て世帯への補助などは、当然もっと早くに行うべきものであった。
大学ファンドの設立などは、現状の教育格差が維持される以上、また分配の仕組みが調わぬ以上、高所得者層への利益を拡充するための施策に止まる。成長と分配といいながら、実は成長に偏しているのが、自民党のいわゆる「分配なくして成長なし」であろう。
われわれプレープスは、当初、岸田新総裁には期待していたのである。それが結局俗悪な自民党政治にがんじがらめにされているばかりか。失望は甚だしい。
対する野党第一党、立憲民主党では代表選が行われる。予想通り、共産との選挙協力については肯定の声が聞かれた。
しかし、野党共闘などという耳障りの言い言葉で、共産党との野合をごまかそうというのは、大抵の国民には通じぬ策略であろう。選挙の仕組み上、候補を一本化すれば得票の増える区もあろう。だが、それは立憲民主党への期待からではない。他に投票先が、選択肢がないからでしかない。どちらを選ぶか、で終わってしまう。そこに政治的な思考はない。それでは、世の中を変えるアイデアが出てこなくなってしまう。
自民、民主、共産と並んだ選択肢を見て、自分の立場に近いものを思索する。その経験が、政治的関心の薄い日本国民には必要だったはずである。
最年少で、国民民主に近いとされる泉氏には、是非とも共産党とのコネクションを断ち切り、真の民主主義を目指す姿勢を取って欲しい。当選は難しいかもしれないが、党内にさような考えのあることを示すならば、先々への期待が少しは持たれようと、われわれプレープスは考えているのだ。
頑張れ泉、党内圧力に踏み潰されるな!
増税反対派のエゴイズム、利他主義の奨め
金融所得増税や住宅ローン減税の見直しに反対している人々は、しばしば「頑張って税について調べた、投資について勉強した。それをなんだ!」と憤ってみせる。無知であるのはかわいいが、やはり愚かである。
それらの態度は、私は私たちのために頑張ったから、他人より恵まれるべきだという考えから生じている。努力したものが報われる世界、それは望ましいが、世の中の仕組みは、今回の例で言えば金融所得や住宅ローン減税の仕組みは、既にそうなっていないことを踏まえねばならない。
あなた方が批判しているとと思い込んでいる、努力したものが報われない仕組みを助長するのがーー金持ちがより儲けたり、益税に繋がっていたりするのがーーそれらの改善すべき事柄であるのだ。
そもそも、私は私たちのために頑張ったから報われるべきだ、という考えは、他人の苦しみには全く目を向けていないエゴイスティックなものである。わたしはわたしとは異なる人々のためにも頑張ったと、そういえる時はじめてその努力は報われるべきものとなるのだ。
私と私の回りの人たちのために努力し、他人の苦しみは黙殺する。そんなエゴイズムから脱し、利他主義につくことを奨めたい。
金融資産税強化を投げ出す現政権のいやらしさと金魚の糞の掃除
総裁選挙の際には金融資産税強化を主張していた岸田首相は、衆院選挙を経て自説を撤回した。なすべきことをなさず、権力の座に胡座をかくいやらしさは記者会見時の口の端の歪みに良く出ている。少々期待した分、憤りは深いというのが国民感情ではないか。
安倍政権の折から、自民党は年金や国家財政を株式市場に依存させ、金融資産税強化をあらかじめ困難にしてきた。その困難を越える気概を示したものと理解していたのだが、どうやら期待はずれであったらしい。
必要なのは、多くの国民の利益が不安定でかつ格差を助長する株式市場に左右されないシステムの構築だ。近ごろ多く見かける簡易な投資への誘いも、高所得者層が自己の利益を生む金融資産への増税を予防するために、国民の家計と金融市場を結びつけてしまおうという策略であること、われわれプレープスははっきりと見抜いている。
勝ち組と呼ばれる高所得者層は、低所得者を自らに追随する金魚の糞に変え、環境そのものを濁らせようとしているのである。もはや環境そのものを覆す、まさに志操堅固な気概を持たなければならない。
この金魚の糞化は、世界的大企業、いわゆるGAMMAをめぐっても生じている現象であろう。例えばGoogleのサービスを利用して収益を挙げるものは、Googleが不当に莫大な利益を挙げていることに目を瞑るどころか、それを肯定さえするだろう。人気YouTuberなどはまさにGoogleの金魚の糞である。
この金魚の糞も掃除せねばなるまい。金融資産税強化に加えて、ウェブ広告税の導入をわれわれプレープスは主張する。金魚の糞は残らず掃除せねばならない。
消費増税および低所得層への手厚い補償を!
2021年度の衆議院選挙で明らかとなったことは、現行の野党勢力が消費税減税を肯定していたことである。
対してわれわれプレープスは、消費税増税こそが真に必要であると主張する。
その理由はまず、消費税減税が結局のところ高所得者層=高額消費者に利するものであるということだ。彼らが高額の商品を買い求める際、消費減税は最大の効果を発揮する。
われわれプレープスが消費増税を求めるのは、高額消費者から収税し、そこから低所得者への補助金を捻出すべきと考えるからだ。消費減税は高所得者をより利する政策であるから、低所得者への分配を重視した政策をこそ取るべきと主張するのである。
かつて言われた「消費増税は消費を冷え込ませる」という危惧は、二桁10%となった現在からすれば、高所得者=高額消費者およびその代弁者の詭弁であったことは既に明らかであろう。低所得者は必要なものを買わざるを得ず負担は増えるが、それは補助金によって賄えば良い。高所得者は結局、増税しても欲しいものを欲しい分だけ買うであろう。高額消費者が納税をケチるための文句が「消費税を上げると消費が減る」であったのだ。